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友綱部屋の歴史ご紹介

相撲の中心が上方であった頃に、江戸相撲の制度確立に貢献した初代・艫綱に発する代々友綱。
七代目友綱貞太郎が中興の祖となり、横綱太刀山らを輩出。明治・大正時代に隆盛を誇った。
初代 艫綱良助

享保19年(1734年)山形県東田川郡八色村出身
本名:水野理助

当初、友綱は「艫綱」と表記され、これは船をつなぎとめるための綱のことであった。後に略して当て字が当てられ、「友綱」と表記するようになった。

初代艫綱は、江戸に出て相撲を志し初代玉垣額之助の弟子となった。
記録によると初代艫綱は、宝暦11年10月に小結、明和3年(1766年)10月に関脇となった。
幕内上段を24年、41場所の長きに渡って務めあげた名関脇であったという。

その後、安永4年(1775年)3月に備前池田候お抱え力士となり、「十万ノ海捷右衛門(とまのうみかちえもん)」と改めた。安永8年10月に抱えをとかれ、友綱に戻った。
天明元年(1781年)10月に48歳で現役引退。年寄専務となった。
当時相撲の中心は上方であったが、江戸で江戸相撲の制度を作った功績者であった。
初代艫綱の弟子から、初代の出羽ノ海が出ている。

天命7年7月14日、越後巡業中に死亡。54歳であった。

 
二代目 艫綱馬之助

出身地・生年不詳
本名:水野馬之助
初代の長男

二代目は艫綱馬之助。初代没後すぐのころ(1789年ごろ)襲名したと思われ、力士ではなかったが江戸相撲の重鎮として筆脇(現在の理事長代行格)などを長期間に渡って務めた。

 
三代目 艫綱良助

出身地・生年不詳
初代の次男
※二代目と同一人物説有り

二代目同様、力士では無い子孫が襲名。寛政11年2月没。

 
四代目 友綱良助

千田川吉五郎
文化3年(1807年)頃 宮崎県延岡市柳沢村出身
本名:伊福
七代目玉垣額之助の弟子

四代目は、大阪相撲で富士ヶ嶽(藤見嶽説もあり)と名乗っていたが、江戸に下って玉垣門下となった。江戸相撲では、天保9年(1839年)に入幕。荒木野、千田川と改めた後天保14年(1844年)に年寄り兼務となり友綱を襲名した。幕内で活躍したが、三役には昇れず嘉永4年(1851年)11月限りで46歳で引退した。幕内在位13年、26場所を務めた。

引退後は玉垣部屋に身を寄せていたが、安政2年(1856年)ごろ廃業して郷里に帰った。
帰郷後は藩主の下で鉱山開発などを行ったとされている。
明治4年(1871年)に64歳で没。

 
五代目 友綱良助

荒木野音平
出身地・生年不詳
本名:三浦
四代目の弟子

五代目は、四代目の弟子と言われる荒木野音平が襲名した。
先代の廃業直後に継承したと見られ、安政4年(1868年)1月に引退し年寄専務となった。
最高位は幕下2段目43枚目。
明治15年(1882年)9月ごろに没したと言われている。

 
六代目 友綱良助

濱ノ音乙吉
安政3年(1857年)京都市下京区出身
本名:山口音吉
玉垣部屋弟子、後に梅ヶ谷弟子

六代目は玉垣部屋の弟子で、梅ヶ谷の内弟子であった濱ノ音乙吉が襲名した。
明治17年に現役で友綱を襲名。明治20年には前頭筆頭まで昇進したが、その年の6月に32歳で没した。

 
七代目 友綱貞太郎

初代海山太郎
安政元年(1855年)高知県香美郡出身
本名:河野貞太郎
玉垣額之助の弟子

七代目は地元土佐の相撲で頭角を現し、板垣退助の知遇を得る。地元板垣邸内にあった稽古場で修行を積み、大阪相撲へ。
明治16年(1883年)には関脇にまで昇進したが、その地位を捨てて東京へ。東京で再び板垣を頼った七代目は玉垣門下へと入り、16場所を努め前頭筆頭まで登った。
明治24年(1891年)5月限りで引退したが、22年~23年ごろから現役との二枚鑑札であったといわれている。

引退後は、板垣の後ろ盾を得て国技館建設(明治42年)に尽力するなど功績を残した。
弟子育成でも力を発揮し、横綱太刀山、大関伊勢浜・八幡山・太刀光・国見山、関脇海山太郎以下幕内二十余名を育成した。
最盛期には力士150人を抱え、明治後期に於いて出羽の海部屋と角界を二分する勢力を築いた。
大正10年(1921年)部屋、弟子、名跡を矢筈山に譲り引退。昭和改元の12月30日に72歳で没した。

 
八代目 友綱亀乃助

矢筈山
明治21年(1888年)高知県佐川町斗賀野出身
本名:西田亀乃助
7代目の弟子

八代目は、七代目の弟子で同郷高知出身の小結矢筈山が継承した。
明治41年(1908年)1月の初土俵以来、立派な体格を生かして小結まで昇進。
大正15年(1926年)1月に引退。先代の弟子達が引退・独立した後の部屋で弟子育成に励み、宝川、晴ノ海、天城山などの力士を育てた。
昭和21年(1946年)に部屋を閉じ、立浪部屋付きの年寄りとなった。
その後昭和36年(1961年)に定年で引退、昭和38年(1963年)4月27日、74歳で没した。

 
九代目 友綱誠一

巴潟
明治44年(1911年)北海道函館出身
本名:工藤誠一
高島部屋の弟子。八代目の婿

九代目は、「弾丸」の異名を取った小結巴潟。
大正15年(1926年)に高島部屋に入門。
八代目友綱の養女と結婚し、昭和14年(1939年)友綱部屋に移籍した。

昭和15年(1940年)5月引退後、年寄玉垣を襲名して部屋を興した。
昭和18年(1943年)に安治川、昭和26年(1951年)に高島を襲名した。
高島時代に横綱吉葉山、大関三根山などを育てた。
昭和36年(1961年)に7代目友綱が定年退職すると8代目友綱となった。
昭和51年(1976年)3月29日に定年すると、部屋をちゃんこ屋に改装して経営してすごした。
昭和53年(1978年)12月24日、67歳で没した。

 
十代目 友綱隆登

一錦
大正13年(1924年)青森県横内出身
本名:鳴海周乃助
高島部屋の弟子。九代目夫人の妹と結婚

十代目は、九代目夫人の妹と結婚した部屋所属の年寄安治川親方。
昭和16年(1941年)高島部屋に入門、一錦・日本錦というしこ名で昭和28年(1953年)5月限りで引退するまで土俵を務めた。引退後先代夫人の妹と結婚。
昭和51年(1976年)、先代の定年を受けて十代目友綱となった。
関脇魁輝、王湖、太刀光を育て、平成元年(1989年)定年退職した。

 
十一代目 友綱隆登

魁輝
昭和27年(1952年)青森県上北郡天間林出身
本名:西野政章
十代目の弟子

十一代目は、先代の弟子で元関脇魁輝。
現役時代は西野、西錦、魁輝と名乗り、昭和40年(1965年)の初土俵以来幕内66場所を務め関脇まで登った。昭和62年(1987年)3月限りで引退すると高島親方を名乗った。
先代の娘敬子夫人と結婚。平成元年(1989年)に先代の定年を受けて名跡変更、友綱部屋を継承。
大関魁皇、関脇魁聖、幕内戦闘竜、魁道らを育て、平成29年(2017年)6月に定年退職した。

 
十二代目 友綱勝

旭天鵬
昭和49年(1974年)モンゴルナライヘ出身
本名:太田勝
大島部屋の弟子

十二代目は、大島部屋の弟子で元関脇旭天鵬。
92年春場所で大島部屋で初土俵。96年春に新十両、98年初に新入幕。
12年4月に大島親方の定年で友綱部屋に転属。
直後の12年5月場所にて昭和以降最年長の37歳8カ月で幕内優勝。
15年名古屋場所限りで引退し年寄「大島」襲名。
年寄四代大島として友綱部屋にて後進の指導に当たる。

平成29年(2017年)6月に先代の定年を受けて名跡変更、友綱部屋を継承。
モンゴル出身力士で初の師匠(部屋持ち親方)になる。